ウィーン賛歌 日々聴きまくる演奏の中から、心に残った演奏と、大好きなウィーン音楽を img_01.jpg

2014年08月12日

小澤征爾の音楽は好きではないが偉大

クラシックのマニアの中で、小澤のことを批判する人は多いです。
訳が分からないような小粒の指揮者の方が素晴らしいなんていう、フェアではない、その成功を嫉むような嫌なことをいう人もいます。
かくいう私も、小澤征爾の音楽を喝采する者ではありません。
若いころの小澤の音楽は確かに魅力的でした。
いい意味で精力的でワクワク感がいっぱいある演奏に感じます。
最近はyoutubeで、CDでは聴けなかったような演奏を聴くこともできます。
最近は削除されて聴けなくなりましたが、40年ほど前のザルツブルグ音楽祭でドレスデン歌劇場管弦楽団を振ったブラームスは素晴らしかったし、50年ほど前にコンサートで生で聴いた新世界はものすごく新鮮だったように思います。
もちろん、ガキの頃ですから、今とは感性が違うから何とも言えませんが・・・・
でも、マーラーの8番や、新世界や、ベートーベンの序曲を何曲か入っているCDを持っていますが、本当に魅力に欠ける演奏で、特に新世界は聴いていてものすごく退屈します。
さらに言うと、大絶賛でCDがクラシックのジャンルではめちゃくちゃ売れたウィーンフィルのニューイヤーコンサートも、バレンボイムの演奏よりは、ウィーンフィルの音はでているから数段ましですが、抑揚にはものすごい違和感を感じます。
このおかしな抑揚は、ウィンのワルツだけではなく、先ほど書いたベートーベンのエグモントなど序曲でも同じようなことを感じます。
なんか足に相当重い錘を付けたような感じを受けるのです。
特に良いメロディーの部分で感じるのです。
とまあ、批判はいくらでも書けるのですが、でも小澤征爾の偉大さは大いに認めます。
佐渡も大植も大野も、みんな中途半端です。
そもそも、日本に少しでも軸足を置くと指揮者の価値は世界的に見れば埋没するように思います。
もちろん日本での演奏活動も重要だとは思うけれど、ドゥダメルを見ていると、欧米での活動の重要さを感じます。
最近のドゥダメルの演奏は目に見えて素晴らしくなってきているように感じます。
まだ、クライバーとかアバドのような超上演奏は知りませんが、たとえば昨年のミラノスカラ座の日本公演の時のリゴレットなんか、間違いなく本場イタリアのニュアンスと音が出ていたように思います。
昨日アップしたヴァルトビューネの演奏でも瞬間オーッという時があるし、ブラームスの交響曲はその構成力というか全体をまとめるところなど、スゲーと思いました。
スイスロマンドの山田もできれば日本での音楽監督など辞して、欧米でしばらくは限定して演奏活動をしてくれればいいなと思います。
小澤はこの点、N響とトラブルを起こしたことが返ってよかったのか、名誉監督ぐらいのポジションは日本のオーケストラでもあったように記憶していますが、彼の経歴を見れば、ほかの指揮者とは明白にそのキャリアの点で比較にならないすごさがあると思います。
首席指揮者や音楽監督のポジションだけ並べても次のようにります。
・トロント交響楽団首席指揮者(1965年 - 1969年)
・サンフランシスコ交響楽団音楽監督(1970年 - 1977年)
・ボストン交響楽団常任指揮者・音楽監督等(1973年 - 2002年)
・ウィーン国立歌劇場音楽監督(2002年 - 2010年)
さらに毎シーズンべりリンフィルを振り、ヴァルトビューネまで振っていますし、何と言ってもウィーンフィルのニューイヤーなんて、ただ人付き合いがうまいだけでは振れません。
ワルツには違和感はあったものの、ポルカはよかったし美しき青きドナウも、ムーティよりは数段よかったです。
そして、湧き上がるような熱情とかは特に感じませんが、アンサンブルはとてもきれいで、やはり、稀代のマエストロであることに違いはないと思います。
小澤ももう80歳。
もう一度サイトウキネンだけではなく、ボストンやウィーンフィルを聴いてみたいと思います。
posted by bhycom2 at 03:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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