ウィーン賛歌 日々聴きまくる演奏の中から、心に残った演奏と、大好きなウィーン音楽を img_01.jpg

2014年11月15日

錨を上げて

急に「錨を上げて」と言うアメリカ海軍の行進曲をなぜ?と思われる方も多いと思います。
でも、実はこの曲が私をクラッシク音楽を聴くきっかけを作ってくれた曲なのです。
幼稚園か小学1年生の頃、親にホリデイ・オン・アイスというアメリカのアイスシューに何度か連れて行ってもらった時に、意味も分からず、かっこ良い!と感動したのが「錨を上げて」という曲でした。
だから60代の半ばにもなり、様々な音楽を聴いているのに、それでもこの「錨を上げて」を聴くと甚く感動するのは不思議ですが、何か刺激するところがあるのだと思います。
いろいろ探しましたが、「錨を上げて」は良い演奏がなかなか見つかりませんでした。
シンバルの音がチャチな演奏が多く、ベストの演奏とは言えませんが、まあ普通の演奏の「錨を上げて」をお聴きください

「錨を上げて」


ホリデイ・オン・アイスの動画
posted by bhycom2 at 17:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

ショスタコビッチ 交響曲第5番

この曲を聴くといつも思うのは、すごい緊張感とすごく冷たい空気感です。
当時は共産党一党独裁のソ連。
特に強権スターリン政権の真っただ中です。
ショスタコビッチはその音楽の先進性から反体制の反逆者としてスターリンの目に留まり、周辺の友人や親族が次々と逮捕され、処刑され、自身の安全と名誉回復の起死回生の曲として作曲したのがこの交響曲第5番です。
この交響曲の大成功と体制に歓迎され、ショスタコビッチの名誉も社会主義体制の中でのポジションも得た重要な曲です。
だから、チャイコフスキーの音楽が華やかなりしロシアを感じられるのと真逆のソ連臭プンプンした印象を感受けます。
この辺りの詳しい状況は次のウィキペディアの記事をご覧ください。

1936年、スターリンの意向を受けたソビエト共産党の機関紙「プラウダ」が、ショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を「音楽のかわりに荒唐無稽」、バレエ音楽『明るい小川』を「バレエの嘘」と激しく批判する(プラウダ批判)。当時のソ連の社会状況を考えれば、これは単なる芸術作品の批評にとどまることなく、最終的に作曲者のショスタコーヴィチ自身を「体制への反逆者」として貶めることへまでつながっていった。
かつて「モーツァルトの再来」とたたえられたショスタコーヴィチも、この批判によってソ連における基盤は微妙なものとなった。これにより、当時精力的に作曲をしていた交響曲第4番も、作曲者自身の意志で初演を直前に取りやめざるをえない状況になった。またこの時期、スターリンの大粛清によってショスタコーヴィチの友人・親類たちが次々に逮捕・処刑されていった。このような厳しい状況に晒される中、ショスタコーヴィチにとっては次の作品での名誉回復が重要であったことは明らかだったと見られている[1]。その作品の一つが、この交響曲第5番であるとされる。なお、近年の研究では、名誉回復のためというよりも、当時のソ連の不安な社会情勢がこの新しい交響曲を書こうという刺激を与えていたのではないかとの説もある。
交響曲第5番は、第4番などに見られるような先進的で前衛的な複雑な音楽とは一線を画し、古典的な単純明瞭な構成が特徴となっている。この交響曲第5番は革命20周年という「記念すべき」年に初演され、これは熱烈な歓迎を受けた。ソ連作家同盟議長アレクセイ・トルストイによって「社会主義リアリズム」のもっとも高尚な理想を示す好例として絶賛され、やがて国内外で同様に評価されていったため、交響曲第5番の発表以後徐々に、ショスタコーヴィチは名誉を回復していくこととなる。
この交響曲を通じてショスタコーヴィチが何を表現したかったのかについては、自身のものも含めてさまざまな資料や発言が残されてはいるものの、その真意についてはさまざまな議論がある。このため多種多様な解釈が存在し、またそれは演奏にも大きく反映され、楽観的な演奏から悲劇的なものまで、さまざまな演奏がある。


マリス・ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団とこの曲の初演したムラビンスキーとレニングラードフィルの演奏をお聴きください。




佐渡裕がベルリンフィルを初めて振った時の1曲でもありますが、その後呼ばれなくなったのか?
この2つの演奏と比較すると分かるような気がします。
あなたはどう感じますか?
posted by bhycom2 at 23:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

ハイドン交響曲 第104番 ロンドン

ハイドン交響曲 第104番 ロンドンはハイドンが最後に作った交響曲です。
さすがに交響曲の父と言われるハイドンだけあって、まさに手練れが作った熟成度が感じられる交響曲で、ハイドンの交響曲では一番好きな交響曲です。
なぜロンドンと言う愛称がついているかをウキペディアから転載します。

 
ハイドンが作曲した最後の交響曲である。『ロンドン』の愛称は19世紀になってから付けられたものであるが、この曲だけでなく12曲の「ロンドン交響曲」全てがロンドンに関係しているので、特別な意味はない。 また、ハイドンは自筆譜に「私がイギリスで作曲した12番目(の交響曲)」と記しているが、実際には12曲のロンドン交響曲のうち第99番などがウィーンで作曲されているため、この記述は正しくない。
初演は1795年5月4日の慈善コンサートで行われたといわれてきた。ハイドンはこの日の日記に「すべての観客も私も余すところなく楽しんだ。私はこの夜に4000グルデンの収入を得た。これはイギリスだからこそ可能だった。」 と記している[2]ことから、この日に演奏されたことは確かである。しかし、ハイドン研究家のロビンズ・ランドンは、4月13日の第6回オペラコンサートで初演されているとしている。
演奏時間は約30分である。


マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団の素晴らしい演奏をお聴きください。
posted by bhycom2 at 17:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。